続いて向かうのは大瀬埼灯台です。教会から車で30分くらいかな。
灯台自体は成人男性が徒歩で往復1時間はかかるそうなので、大瀬崎の展望台から眺めることになります。
これがまあ素晴らしい眺め!風がめちゃ強いけど、いつまでも見ていたい景色です。
明治期に建てられた灯台は海の要地だったこともあり、かなり大きくて明かりの強さも大きかったそうです。(数字聞いたんだけどな…なんとかカンデラって)
戦後建替えられ、今では船自体の性能が上がったこともあり、明かりの強さはかつてよりだいぶ弱くなったんだと。今GGPSもありますもんね。
ガイドさん曰く、灯台自体がもう滅びゆくものかもしれないと。航海に関するあらゆる技術が発達しているので、もう要らなくなっちゃうんだな…
この大瀬崎灯台の灯台守の話もしてくれました。
大瀬崎のこの断崖は20kmほどあるそう。めちゃくちゃかっこいいな!(語彙力無し)
ガイドさん自体は大阪の出身だそうで、五島に惚れ込んで移住したそう。本当仕事さえあれば、ここの暮らしいいよなぁ。魚も肉もうまいし←そこかよ
どこも一応トイレがあって、古いけれど清潔にされてました。すごいことです。
私は免許持ってないので、このバスツアーはとてもありがたかったのですが、車乗れたとしてもこうやって貴重なお話が聞けるのでお勧めです。
この時に聞いたことを羅列
・福江のこいのぼりはポールではなく、竹竿であげる。節や葉をそのままにして。(こいのぼりを取り付ける部分のみ葉は取り除いてるみたいです)
・福江島横断の道路は(確か)昭和の終わりに出来たのもので、それまでは船でぐるっと回るしかなかった。それだと数時間かかった。(多分動力も低かったのね)
・大村藩の外海地方は江戸時代の終わりごろに人減らしのため、約100人が藩公認で五島・福江に移住。これがこの福江島西側のキリシタンの礎となった。
・この100人以外にも非公式で移住してきたものもあり、前者は五島藩から一応土地と開墾を許されていたが、後者は本当のどうしようもない土地で暮らさざるを得なかった。それでも、五島までキリシタン迫害の手が伸びづらいので、まだマシだった。
・しかし、明治初期に五島崩れが起きる。(「崩れ」とはキリシタン迫害)
移住の話はこちらにもあります。
といった感じです。ある程度、遠藤周作の本で予習してあったので話もスムーズに聞けました。