旅と食と糸と花

旅が好き、食べることが好き、こぎん刺しを嗜み、花を愛でる、でもどれに関しても無知な妙齢会社員の日記

【読書メモ】沈黙

オノヨーコ(仮名)の勧めで読了。

島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル人司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる……。神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、〈神の沈黙〉という永遠の主題に切実な問いを投げかける長編。
新潮文庫HPより)

 

最初、18きっぷ静岡旅のお供で持って行ったのだけど(18きっぷは乗車時間がたっぷりあるので)、読み始めて30ページくらいでギブアップ。

のんきな18きっぷの旅で読むにはあまりにも重い内容で、落差が激しすぎて。

通勤時間を利用してなんとか読了したが、駅到着して降りてからもずっと重い気持ちを引きずって会社行ったり、家帰ったりしてた。
以下、思ったことをつらつらと。

 

私が最初にギブアップしたのは、「重い」というのもあるけれどどうしても、あの時代に日本(とアジア)に布教活動しにきた国々、人々、教会は決して日本・アジアの人々のためではなく、端的に言って自分たちの勢力拡大のためでしょ?という気持ちがぬぐえなかったから。
それは作品中盤までずっと腹の中で燻っていた。
主人公の司教は純粋な信仰心からかもしれないけど、歴史的背景を考えると彼と教会のいう言葉どれもが薄っぺらく感じてしまって。
でも、この作品の主題はそこじゃないんだよな。でも、どうしても私の中で引っかかったので書いておく。

 

勝手にキリスト教を広めようとしてやってきて、弾圧になってるのにも関わらず、自分が日本人(隠れキリシタン)を救いたい、救えると思って、マカオで散々止められたのに来たんじゃん?お前ら何やってるの?という気持ちがずっと消えない。
長崎の貧乏百姓を、ポルトガルのどの生活よりも最低の暮らしをしてるとまで言って。

で、結局ある日本人の裏切りで司祭が捕まるわけだけど、そこからようやく私の中で「宗教とは」「キリストとは」という恐らく遠藤が言いたかったであろう本題へ気持ちが向かった。

 

私自身は信ずる宗教はないのだが(日本人ぽい信心はあるが)、何か信じるものがあるものは強いと常々思ってきたのだが。
隠れキリシタン弾圧という時代のうねりにおいて、それが果たして通じるのだろうか。
どのような背景があるにせよ、結局司祭は棄教する。それに対し、決して弾圧に屈せず死んでいく日本人の姿も描かれている。
信仰心の深さなのか、現世が辛くキリストへ救いを求めた結果なのか、自己保身、もっと違う何かなのか…

 

とにかく、棄教してしまった主人公の司祭はともかく、殉教した名前も知れぬ日本人が(特に)長崎にたくさんいたということはしっかり心に残った。

 

長崎や熊本で世界遺産となっている教会を見ることがあれば、「うわーステンドグラス綺麗ね」とかじゃなく、そういう気持ちを忘れないでいたいと思う。