旅と食と糸と花

旅が好き、食べることが好き、こぎん刺しを嗜み、花を愛でる、でもどれに関しても無知な妙齢会社員の日記

2021年末・京阪旅(5)修学旅行以来の金閣寺と暮れの出町ふたば

 

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3日目の朝。年の瀬だけど旅先なのでのんびり過ごす。
朝ごはんは昨日大阪で(笑)買ってきた赤福。インスタでも書いたけど、私にとっての思い出の食べ物。
これを食べるといつもMのことを思い出す。(生きてますし、連絡も取り合ってます)


さて。前回の京都から「人がいないうちに有名な寺社仏閣へ再訪」企画がありましてね。
今回は金閣寺に行きますよー。中学時代の修学旅行以来なので、ウン十年ぶり。

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バスで行きましたが、予想外?いやよく考えればそうかって感じなんだけど、ファミリー層がすごく多かった。
小学生くらいの子供がいるファミリー層。

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他の寺社仏閣に比べれば、子供でも「すげー」って思う分かりやすい風格だもんね。
ウン十年ぶりに見たら、思ってた以上に金ピカだったもの(笑)
中学生の頃初めて見て「きゃ~、すご~い」って思ったのがよみがえると同時に「ああ、銀閣寺の方がカッコいいな」と思ったのです。そしてそう思ってしまったことに、あれから幾年月が流れたのか改めて気づいた。年を取ったんだなと。

 

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そして今更知った、この金ぴかの建物が舎利殿だと。恥。(見づらいけど立て看板に書いてある)

茶室だと思ってた…正月に家族に知ってた!?って話したら、誰も知らなかったので意外と知らない人多いのかな?

 

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でも、義光公がお茶に使ったという瀧(湧水?)があったのでやっぱり茶室として使ったのかなって思ったけど。夕佳亭という建物があって、ここが茶室に使われたらしい。
写真すら撮ってないけど(笑)ただ足利時代室町時代)に造られたわけではなく、江戸時代になって増設したそうな。なんで、義光公はどこでお茶煎れてたんでしょうね。

 

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金閣寺もまた山というか丘というか台地のヘリに建てられていて、小高い丘から登ったところからも眺められます。
当時はここまで木も大きくなかったんじゃないかと思うので、もっとよく見えたのかもしれないね。

御朱印は書置きでした。


さて、ここからバスで下賀茂方面へ。
ちょっと時間があるので(いや時間を作ったともいう)、出町ふたばへ行ってみる!
豆餅と他の和菓子を買うつもりだったんだけど、直前に某SNSで「暮なので餅を売っている」という情報を得たのでそちらも見てみようと思って。

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かなり並んでいたように思うけど、普段を知らないので比べられない。30分ほど並んで買えました。
餅は豆入り、海老、草、粟(栗じゃないよアワだよ)、白があって、形は丸餅と棒があった。丸餅は1個から、棒は本単位(500g、豆と白のみ1kgもあり)で買えます。確か。
てっきり棒の方が安いと思ったんだけど、グラム単価は一緒だったよ。買ってから気づいた。だったら最初から丸を買えばよかったな。棒だと家で切らないといけないですからね。

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この時期は、豆餅とあん餅以外の和菓子等は販売しておらず餅に注力しているようですね。


鏡餅も売ってた。父方の祖父母は西の出身だったので、当然丸餅だった。暮れから正月に行くと帰りに丸餅を持たせてくれたので、祖父母が存命の頃はずっと我が家は丸餅だった。
亡くなって、我が家で餅をつくようになったらあれだけの数の丸餅を作ってた手間に頭が下がる思いだったな。うちだけじゃなく、父の兄弟の分も作ってたもんね。
我が家はのし餅を切るので四角になったのだけど、それは母の実家の流れで、もちろんそれだって大変なんだけどさ。東西の違いっておもしろいよね。

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