私は自分の性格が栄養失調的だなーと思う。
興味ない事はとことん覚えられない。一般常識ではという範囲ですら怪しい。
で、「白虎隊」ですよ。これがまたすっごく知識が怪しい。長らく新選組や赤穂浪士と区別がつかなかった…
新選組や赤穂浪士(忠臣蔵)は、歌舞伎や舞台を見るようになったので少しだけ知識が付いた。少しだけね。
白虎隊は舞台でもあんまり見かけないんだよなー。
10代の年端もいかない子供たちが政治の犠牲になった。ざっくりとそういう事のように思う。そこに忠義とか信義とか「義」があったのだろう。
それが時代のせい、当時の価値観だとしたら。
今のコロナ禍で分断される日本もまた時代のせい、時代の価値観と後世で言われるのだろうか。
飯盛山が白虎隊最期の地だそうで、白虎隊には興味ないけど景色よさそうだしさざえ堂は見たいからついでに行くかーみたいな気持ちで行ったのだけど。
バスは麓までしか行かない!あとは自力!とバスが止まってから知ったのだが!安心してください。有料エスカレーターがありますよ!上りだけですが。下りは自力だそうで、若い私は下りは余裕っす。(年取ると下りが大変って言いますよね)
エスカレーター降りて、ほんの少しだけ登ったら頂上で碑がありました。手を合わせます。
昨日磐越西線で会津若松で結構人降りたんだけど。みんなどこ行った?っていうくらい人おらんな。
やっぱり今の価値観と違いすぎて、白虎隊はもう見向きもされないのだろうか。それはそれで悲しいじゃないか…(自分だって興味ないくせに)
とか思ってぐるっと見回すと場違いな像が。なんか急にヨーロピアンなんですけど。
どうやら、かつてのローマ市が白虎隊の話に感動してこの像を贈ったらしい(意訳)
えー、私見(しけん)すぎね?とはローマ市民は思ったのか思わなかったのか。昭和3年の話だそうです。そして送った主こそムッソリーニ首相だとよ!
ローマ市民の名を騙って、私見なのでは…と思うけど。でも当時のファシズムと気脈が通じたのかもしれない…嫌だ。
ちなみにこの石碑やお墓は、「元」白虎隊で初代・東大総長の人と、東武線の創始者・根津氏とで立派に整えたらしい。(もちろん地元の尽力もあるけど)
根津さんって、表参道にもすごい良い美術館持ってるけど、あちこちでちゃんと金つかってたんだな~。いい金の使い方してたんだなと思ったわ。(何の評価だよって?)
もう少し行くと、会津の街を見渡せる場所があります。
ここから会津の街を見て、少年たちは「城が燃えてる!落城したんだ!」と思って自害したんだって…
でも、これ落城じゃなかったんだよ。悲しすぎるじゃない。
今回この記事を書くにあたって知ったのだけど、どうやらドイツから贈られた碑もあったらしい。気が付かなかった。
昭和10年の話だそうで…これまたナチズムと通じたのかもしれない。
ダメだよぉ。死ぬなよ、若者よ。