旅と食と糸と花

旅が好き、食べることが好き、こぎん刺しを嗜み、花を愛でる、でもどれに関しても無知な妙齢会社員の日記

フェルト作品にハマる…いやハマってない!

少し前にフェルトマトリョーシカのWSに参加したことを書いたが。

eightx.hatenablog.com


一緒に参加したパンダ嬢がハマって、その日のうちに記憶を頼りに家で復習していた。
型紙が無いからできないとか考えないところが、すごいなと。そのフレッシュな感性に刺激されて、私もちょっと復習してみようかなと思ってしまったのが運の尽き(なのか?)


パンダ嬢が起こした型紙を参考に作ってみたのが右側。

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かわゆーーーーー!とハァハァしたのだけど。これが立体になると少し形が崩れてしまうので、自分で調整して型紙起こして、100均フェルトで試したのが左。黒子(笑)


しかし…ここで私の不器用炸裂。
きちんと半分に折って左右対称になるように型紙切ったはずなのに、おもいっきり歪。
フェルトをカットする時に歪なんじゃなくて、型紙切る「紙」の段階で歪なの。ふしぎ~(そういう問題じゃない)


紙すらまともに出来ない私を哀れに思った(私がわざと同情を誘ったともいう)、家族がきちんと型紙を起こして紙もカットしてくれたヽ(^o^)丿
えぇ、私と違って1ミリのズレも許さぬ理系の人なので、綺麗です。

PCじゃなくて、なんかいろんな定規使ってた。直線じゃないいろんな定規、どこに隠し持ってたんだろう…


ということで作り直したのがこちら!

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台湾ぽいものが作りたいなと思っていて、色々難しいことが出来ないから。パイナップル1本に的を絞ったの。
あと、ほら今台湾パイナップルが日本で売られているじゃないですか。でも私はアレルギーで食べられないので、そこへの情念ていうか。

 

と、ここまで作ったら。地元の図書館で北向邦子先生の本が借りられたのです~。
おかげで本家の型紙を取る事が出来た!

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でも、ここまでで色々試作したおかげで頭巾の形を試作段階のものと合体させることが出来たりして、試作型紙もきちんと生きてるんだよ。


そんなわけで、この型紙を使っても作っていますので、それはまた今度(インスタに載せてるけどね…)
ここまで書いておいてなんですけど、本当フェルトにハマってないんですよ。ええ、本当です。
「かわいいものを飾る」みたいな趣味がない、雑貨を愛でる趣味がないので、これもハマってないんですよー。実用的なものが好きなんですよー。

本当だよー。

…フェルト買いに行かなくちゃ。

女は子宮でモノを考える

40歳も過ぎたので、自分の弱点は一応分かっている。多分。
全部が全部というわけにはいかないが、付き合い方も心得てきた。


自分の強みを伸ばすとか長所に目を向けるとかいうけれど、そこを伸ばす前に弱点、嫌いなところ、コンプレックスとうまい距離感をつかむ方が人生で大切ではないかと。
無くすことはできないけれど、距離おいて付き合えれば人生楽になるよね。

人は誰でも落ち込むときがあるけれど、そういう時こそ自分の欠点がより目につく。
そこでうまいこと距離感を保てないと、ますます落ちて行ってしまうので。


そんな時、付き合いが長い友人や人生の先輩方がくれた厳しくも温かい言葉はいつも指針となる。

その中でも中医の資格を持つ人生の先輩が教えてくれた言葉は私が落ち込んだ時のストッパーの一つだ。


「女は子宮でものを考えるから」


これ、よく聞くセリフかもしれない。その時々でこの言葉が出てくる背景も意味も違うと思うけど。
私が初めて子宮筋腫卵巣嚢腫摘出手術をして退院したばかりの頃に言われた。

女は子宮でものを考えるから、悩みすぎると子宮に(体に)負担がかかるよという意味合いで言われた。


これが真実かどうかなんて、大して重要ではない。
悩んで落ち込んでどうしようもない時、「これ以上考えたって答えが出ない」と思った時は「そうだ、私は子宮を大切にせねば!」と思い出す。
気持ちをコントロールするおまじないみたいなものね。

まあ、結局のところ子宮筋腫再発してどうしようもないほど大きく数も増えちゃったけどね(笑)

 

もう一つ、30歳過ぎたころに年上の友人に言われたのが「他の人はもっと周りを頼ってるよ。もっと人に頼っていいんだよ」と言われたこと。

私は自分のことを「すぐ人に頼るダメ人間」だと思っていたので、「これ以上、みんな頼ってるの!?うそでしょ」って思ったし、今もそう思ってる。
でも、これ聞いてから頼ることに罪悪感を覚えづらくなくなった。出来る人に出来ることを頼もう、代わりに私が出来ることを引き受けようと。

 

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鶏が下だったら、ブレーメンも潰れちゃうからね。

頼っていいんだよ。

 

 

ちょっとだけ贅沢

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五輪のことを書きなぐっていたら、保存されておらず…書く気を失っておりました。

なんだんだよー、もう。

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雀どころかありんこの涙くらいの賞与が出たので、気になっていた桃パイを買った。


前はもう少し、ケーキをよく買ったのだけど。

妹も一緒に生活していた頃は、お互いよく買ってきていた。買った方も買ってきた方も嬉しくなるのだ。
1人で食べてもおいしいけれど、やっぱり誰かと「おいしいね」と言いながら食べる楽しさがあるよね。特にケーキは。


あと、年ととも(驚くほど)代謝が悪くなったので、買う回数が減った。


半分にカットした桃を使ったパイは、パイ生地も中のカスタードも甘さが控えめ。
みずみずしい桃の邪魔をしない。丁寧に作られたケーキだった。


コロナになって以降、友人とゆっくりカフェでお茶をする機会はほとんどない。
もしくは、1人の時間が欲しくてどこかのカフェでゆっくりする事もなくなった。例えがそれがチェーン店であろうとも。

あの時間がどれほど豊かで、心の栄養になっていたのか。
しみじみと感じながら食べた。

丁寧に作られたものは丁寧に味わいたくなる。コーヒーや紅茶を丁寧に淹れるとか。家でナイフ使って何かを食べたの久しぶりだよ。(ほら普段粗野な生活してるから)

たまにはこういうの大切だよなと。
衣食住には含まれないけれど、心の栄養は生活必需品だと思う。

小さな親切、大きなお世話?

先日インスタでフォロワーさんが『PTAの会議で、PTAでもよく使うからと某アプリの便利な使い方をまとめてくださった方がいた。すごく便利だなと思って他のママさんに話したところ「そういう張り切る人いるよね」と言われてイラっとした』という内容を書いておられた。(一部加工してます)

なんか、すごい分かるなと思って。


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決してそれほど詳しいわけではないけど、それでも今の部署では私が一番PC操作になれていて、Excelを使っている。他の人は関数もSUM(足し算)とROUND(四捨五入)くらいしか使ってない。
今までは半日もしくはそれ以上かけてやっていた事を、私がごくごく簡単な関数(vlookup程度)で簡略化したら担当者にはとても感謝されたのだけど。
これだって、「知識をひけらかしてる」とか「出来ない自分たちを下に見てる」と思う人はいるからね。
こっちにそんな気はないけど。
ただまあ、「これにそんな時間かけて可哀そう」とは思った。こんなのすぐ出来るから、もっと私を使ってくれていいのにと。


こうしたらいいよ、便利だよと思っても相手がそう受け止めるか分からない。変化を嫌う人は大勢いる。歳をとればとるほど。
右クリックより、「ctrl+C」や「ctrl+P」が便利だよと言っても、それをすぐに実行に移すのはなかなか難しい。(覚えられないというのもあると思う)

 

こちらは良かれと思って言っても、「どうせ私は詳しくないから」「全然分からないから」って返されることも多く、やっぱり余計なお世話だったんだなと思う。
分からないんじゃない、分かろうとしないんだよ…と思うけど、かういう私も何十回聞いてもギターとベースの違いが覚えられない。分かろうとしてないんだ。

小さな親切、余計なお世話だね。


だけど、こういう積み重ねで定時で帰れるか否かが決まると思うんですけどね。私は当然定時上がり。仕事嫌いだからこそ、早く職場を去りたいのです。


でも向上心のある人は年齢に関係なく聞いてくれる。「やり方教えてください」「今のどうやったんですか」って言ってくれる。
そういう人大好き。


私も今の部署に入ってやっと1年過ぎたところ。まだまだ向上心をもって働いていきたい。難しいけどさ。

まだ社会人人生長いからね。

【読書メモ】総統とわたし

少し前に90年代に書かれた李登輝氏の本を読んだと書いたが。


もう1冊読んだ。

 

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ちょうど読み終えるころに、某国共産党100周年でトップのじじいが「台湾なんとしても併合したるからな」的な事を言っていて憤慨とも悲しみとも何とも言えない感情になった。


李登輝氏の亡くなるまでの8年間、秘書として仕えた早川友久氏の本。早川氏は私とほぼ同年代。
李登輝氏に対して、限りない尊敬の念を抱きつつも冷静に書かれているので前の書籍よりずっと読みやすい。これはご本人の性格かもしれないけれど、台湾人ではなく日本人であるからこそ少し離れた目で見られるとか年代が全く違うからこそ冷静に見られるというのもあるのかな。


彼が居なければ台湾がこのように開かれた民主主義にはならなかったのだろう。どちらの著書を読んでも李登輝氏の功罪の「罪」は出てこないけれど、恐らく「罪」もあったとは思うんだよね。人間だから。
それでも、彼ほどの傑出した人物はそれを凌駕してあまりある「功」が大きかったのだと思う。

アジアの国々にはこういった建国の父と呼ばれて、今も尊敬される政治家がいて羨ましいなと思うよ。


日本に国民の多くが思い浮かべるような人いないよね。
個人的には児玉源太郎氏が好きだけど、それはおそらく某小説の影響が大きいね…(笑)

李登輝氏の「私は23歳まで日本人だった」というセリフは有名だけれど。彼は率直なところ、戦後の日本をどういう気持ちで見ていたのか。特に21世紀以降の日本を。
彼が自ら志願してまで戦争に参加するほどの国だった日本。その時のように素晴らしいと本当に思える国だったのだろうか。

読んでいると、日本に対する愛情と切願をひたひたと感じる。日本を買いかぶりすぎでは…と思えるほどに。今の政治家で彼の期待に応えられるような人いないよ。
某大国に「遺憾です」しか言えない人たちばかりよ。
…大国どころか隣国にも言えないけどね。慰安婦とか強制徴用とか、日本の歴史の時間にもちゃんと「真実」を教えるべきだと思うけどね。敗者は歴史を語れないわけじゃないでしょうが。


話逸れちゃうけど、同じ植民地支配においてどうして台湾と韓国はこんなに違っちゃったんだろうなといつも思う。
台湾では日本統治時代の建物も戦後ずっと使われてたじゃない。リノベが流行る前も「使えるものは使っとけ」みたいなたくましさがあるのではないかと思うのだけど。建物に罪はないからね。
韓国で統治時代の建物って、ソウルでも数か所しか残ってなかったはず(渡航歴20回以上あります)
やっぱり「恨」の文化なんだなと、K-pop大好きな友人が言っていた。K-pop好きでもそう思うのね。
20回も行っといてなんだけど、彼らのそういう根性にうんざりなのでもう行かなくなってしまったが。食べ物美味しいし、親切な人もいるんだけどね。

 


書籍に話を戻して。
過去の歴史(日本統治以前)をたどっても、台湾を中国の一部として扱うことに違和感があるのは私だけでしょうか。
国民党が来たばかりの頃ならいざ知らず、台湾でも中国に飲み込まれることを望む人は少ない。ましてや昨今の香港を見ていたら尚更だろう。


一国二制度ではなく、もう別の国なんよ。中華民国でもなく台湾なんよね。
アメリカも色々言うくらいなら、台湾と「国交」結んで欲しい。

国民党という悪しき内側から出た政治家と言うことで、私は彼をちょっとゴルバチョフっぽいなと思っていたのだけれど。
だいぶ違ったね。
でも、どちらも自浄作用が働いたということだと思うのよね。
それが行きついた先はちょっと…だいぶ違ったけれど。

李登輝氏から見た蒋経国についても触れられていて、それがなかなか興味深かった。
本心は分からずとも、一度も蒋経国悪く言うことはなく、彼から中国人(=大陸から渡ってきた人)の扱いを学んだと。これ面白いなーと。台湾人を扱うのと中国人を扱うのは別の話だという事、政治経験のなかった李登輝氏が蒋経国の元でいかに学んでいたかという事、いろんな事が読み取れる。


この本、なかなか私的には面白かったので買いたくなってきた。
ああ、どうせならペレストロイカの本読んでみたいな。